友人の一言に、あらためて自問してみた。万年筆の魅力とは。なぜ万年筆なのか。万年筆の魅力とは一体どこにあるのだろう。
機能的な特徴は、書くこと。元も子もない一言で言ってしまえば、単なる筆記具に過ぎない。そこに魅力を語る余地さえないような事務用品。いや、もはや現代においては事務用品ですらなく、忘れられた古い嗜好品の類になってしまったのだろう。
しかし、はたしてただの懐古的な感情なのだろうか。
僕を含め、万年筆全盛期を知らない世代でさえ、生まれた頃からすでにボールペンの方がはるかに普及していた世代にとってさえ、万年筆の独特の世界観に魅了されている事実がある。
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料理好きが道具にこだわるように、食器にこだわるように、食材にこだわるように、時間、空間にこだわるように、同じような満足感を万年筆は満たしてくれるように思う。
使い捨ての安い量産されたボールペンではなく、軸にこだわり、ペン先にこだわり、インクにこだわり、紙にこだわり、言葉を記す。
質の高いボールペンをいくつも知っているので、全てを否定するつもりはない。だけど、やはり中には無機質なものがあるのも確かだ。万年筆にはそれを感じない。
お気に入りの一本を大切に使い、今では考えられないような手間をかけ、インクを装填し、大事に大事に言葉を書く行為は、やがてなくなればすぐに買い換えられるボールペンに取って代わり、そして今や画面を指でなぞるだけで思いを伝えられるようになった。
言葉を、思いを伝えるための行為は大きく変化を遂げていったわけだが、それでもやはり、いや、だからこそ書くことへのこだわりの重要性が際立つのかもしれない。
何よりも万年筆の一番の魅力は、紙の上を滑りながらインクを記していくペン先の美しくなめらかな感触だろう。言葉ではとても言い換えられない至高の感触。記すとはこういうことなのかと、あらためて実感させられる至福の瞬間は、万年筆のペン先にしか成しえないといっても過言ではない。
僕はボールペンでうまく字が書けない。どうしても合わないのだ。油性インクがボールによって機械的に繰り出されるあの感触に、うまく馴染めなかった。コントロールできた試しがない。
なぜうまく書けないのか、という長年の疑問に答えを出してくれたのが万年筆だった。書いた瞬間に、なるほどこういうことか、という気分だった。そもそも字を書くということはこういうことだったのかと。一撃で虜になった理由だ。
ボールペンで字がうまく書ける人に、わざわざ万年筆をごり押しで勧めるつもりはないし、むしろ僕にできないことをできることに尊敬の念すら湧くほどだ。
しかし、僕と同じようにボールペンで字を書くことになんらかの違和感を感じる人や、うまく書けない人は、ぜひ万年筆を試してみてほしい。
利便性を追求することで衰退した古の筆記具のもつ道具としての本来の手間をかけることで、書く喜びをあらためて実感することができることを、僕は確信している。
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とても美しいコメントでした。
ありがとうございます。
こちらこそ、本当にありがとうございます。
私もなのです。シャープペンシルやボールペンで書くと、目に見えて字が汚くなるのです。だけども、万年筆で書くと、綺麗に書けるようになると自分でも思ます。私は、いわゆる仏壇万年筆が好きなのですが、万年筆で何らか書いているだけで、なんとも言えない愉しさを覚えます。
返信めちゃくちゃ遅くなって本当に申し訳ございません!
メインのパソコンが古くてどうにもならなくて使えなくなってしまってました…。
全く同じですね!僕は特にボールペンが苦手です。
どうしてもハチャメチャな字になってしまいます。
万年筆の滑り具合、インクと紙とペン先の加減がちょうど自分に合っているのだと思います。
心地良すぎるんですよね。