音楽教室での楽曲使用に対してJASRACは、著作権使用料を徴収する方針を固めたという問題が話題になっている。使用料は受講料の2.5%とし、その額は年間で10億~20億円になると推計されているとか。もちろんヤマハや河合楽器製作所は猛反発。なぜこんなことが起こっているのだろうか。
そもそも、著作権とは
今回の音楽教室をめぐる著作権の問題。簡単に言うと、講師が生徒の前でする模範演奏に「演奏権」が発生するというものだ。なんだその演奏権って。実は、音楽著作権は複数の権利に分かれている。以下が主に挙げられる支分権、利用形態だ。
- 演奏権等
- 録音権等
- 貸与権
- 出版権等
- 映画への録音
- ビデオグラム等への録音
- ゲームソフトへの録音
- コマーシャル送信用録音
- 放送・有線放送
- インタラクティブ配信
- 業務用通信カラオケ
なんだこれは。一見取れるところからは取っちゃえ的な、「大人の事情」権に見えなくもない。しかし、音楽が使用される場が増えれば増えるほど、取りこぼしなく権利は保護されるべきなのである。悪い意味での聖域、無法地帯があってはならない。メディアが増えれば、そのメディアに合わせた形態の権利が発生するということになる。
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演奏権って?
では、演奏権についてもう少し詳しくみてみよう。著作権法での定義はこうなっている。
第二十二条 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せまたは聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。
つまり、公(不特定多数)の前で著作物を演奏できるのは、その著作物の著作者だけが有する権利だということ。著作者以外がその著作物を公の前で演奏することは、著作権の侵害にあたるということだ。
JASRACとは?
先に挙げた著作権の支分権、利用形態を著作者自身が監視・管理するのには限界がある。というよりもむしろ不可能に近い。そこで登場するのが、著作権管理を請け負う最大手、日本音楽著作権協会、通称JASRACだ。管理の委託を受けた著作物の権利が侵害されないよう、監視・管理し、また著作権使用料の徴収を一手に行っている団体だ。これだけを見てみると、とても素晴らしい団体に見えるのだが、なぜこうもネットや世間で叩かれ、忌み嫌われるのか。いくつか思い当たる理由を挙げてみよう。
著作者からも徴収
そう、JASRACは、著作権使用料を著作者からも徴収している。著作権の管理を委託している以上、発生する使用料は「平等」に著作者からも徴収し、管理委託料(一説によると26%とも言われている)を差し引いて、著作者に使用料を支払っている。
聖域なき徴収
個人経営のお店のBGMやカラオケスナックに対して、ある日突然訪問し数年分遡って一気に徴収する。支払えずに閉店するという話もあるくらいだ。聖域、無法地帯はあってはならない。
管理外楽曲からも徴収(しようとする)
千年も前の雅楽(JASRAC的には「ガラク」と読むそう)からも徴収しようとする。もちろん著作権はもともと存在しないか、発生しない。少なくともJASRACの管理楽曲であるはずもない。
徴収しても著作者に払わない
一小節程度の使用料に関して、JASRACは著作者には支払わないのだとか。徴収したのに。何を徴収したのだろうか。使用料と管理委託料が相殺されたのか。
独占企業
国内に存在する楽曲の98%がJASRACの管理楽曲といわれている。それゆえ使用料額の設定やJASRACの利益率、年間一千億円以上にのぼる収入額には、常に疑問符がつきまとっている。
新たな徴収対象として
そんなJASRACが新たに徴収対象として白羽の矢(?)を立てたのが、音楽教室での講師の演奏。音楽教室での講師の生徒に対して行われる演奏に「演奏権」があると主張するJASRACに対して、音楽教室運営会社サイドは強く反発している。生徒たちを「公(不特定多数)」とするのか。「見せる」「聞かせる」演奏と、「教える」ための演奏との線引き。そもそもそれは、「演奏」に当たるのか。
おわりに
飲食店などの店内で流れるBGMは、「営利目的」なのだという。直接的に利益を得ているわけでもないとないと思われるが、間接的にであっても、それによって利益を得ているのだとか。BGMのないお店は居心地が悪いのも確かだし、「居心地の良さ」も提供されるサービスの一つだといわれれば確かにそうだ。流れる音楽には全て作者がいて、その作者の権利は守られるべきである。なのだけれど、どうしてか、なんともいえない不自由さを感じてならない。
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